サピエンス全史 / ユヴァル・ノア・ハラリ / 河出書房新社
この お勧め本紹介を通じて本を読むことの楽しさや色々な価値観を知り、成長に繋がることを紹介したいと思っています。
今回紹介する『サピエンス全史』は私たちホモ・サピエンスがどのようにして食物連鎖の頂点に立ち、そして文明を築いたのかを歴史的に解明する本です。
上・下巻でかなりの情報は記載されていますが、読みやすく、わかりやすいので気にならずに読み進めることができます。
人類発展の歴史と、他の類人猿と比べても身体的に優れていたわけでない、サピエンスがなぜ生き延びれたかを「3つの重要な革命が決めた」と紹介しています。
『サピエンス全史』は、歴史の道筋を決めた3つの重要な革命を軸に語られます。
その革命とは、7万年前の「認知革命」、1万年前の「農業革命」、500年前の「科学革命」です。
上巻では、歴史の道筋を変えた3つの革命のうち、主に2つが紹介されています。下巻で科学革命について書かれています。
認知革命
序盤はサピエンスの誕生から、人類が「虚構」の能力を手に入れる「認知革命」までを詳しく書かれています。
私たちの祖先は、東アフリカの片隅で捕食者をおそれてほそぼそと暮らしていた「取るに足りない動物」でした。
食物連鎖では人類よりも大きく身体能力の優れた動物が多数繁殖する中、「ホモ・サピエンス(「賢いヒト」の意)」は食物連鎖の頂点に立っていきます。
サピエンスだけが、他の人類とは違い多数の見知らぬものどうしが協力し、柔軟にものごとに対処する能力(社会性、協調性)を身につけます。
それを可能にしたのが「想像力」です。見えないもが存在すると思える能力です。
サピエンスだけが、約7万年前の「認知革命(新しい思考と意思疎通の方法の登場)」を経て、「虚構=架空のものごと」について語れるようになります。
虚構について詳しく紹介されていています。
現在のホモ・サピエンスの社会の営みとしてある、伝説や神話にとどまらず、企業や法制度、国家や国民、人権や平等、自由も全て目に見えないものをあるように思う概念であり、虚構です。
この「虚構」、すなわち架空の事物について語れることを「認知革命」と呼びます。
その原因は定かではないものの、これにより私たちは言語という、他のどんな動物ももっていない能力を獲得し、ホモ・サピエンスを特別な存在に押しあげていきます。
私たちには、天地創造の物語や、近代国家の民主主義のような、共通の神話を紡ぎだす力があります。
この能力が、無数の赤の他人と柔軟なかたちで協力することを可能にさせています。
面白い例えで、大きな会場で整然とホモ・サピエンスは並ぶ事ができますが、類人猿にはそれは難しいとの事です。
事実、近代国家にしても、中世の教会組織や古代の都市等、人間の大規模な協力体制は何であれ、人々の集合的想像に根ざしています。
虚構を発明したことにより、私たちはたんに個人で物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになったのです。
虚構はすべてを変える、しかも迅速に
物語を語ることそれ自体はむずかしいことではありません。
しかし、あらゆる人に納得してもらうことは簡単ではありません。
それゆえに歴史の大半は、どうやって厖大(ぼうだい)な数の人々を納得させる物語をつくれるかを軸に展開していったと言っても過言ではありません。
いちど共通の物語さえ獲得してしまえば、ホモ・サピエンスは途方もない力を発揮します。
たとえば、呪術師のほとんどは神や魔物の存在を本気で信じれますし、人権擁護運動家の大多数も「人権」という存在を心から信じています。
これこそが、ホモ・サピエンス成功のカギとも言えます。
もしホモ・サピエンスとネアンデルタール人が一対一で戦ったら、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人に勝つことは多分できなかったでしょう。
現実的には、ネアンデルタール人は虚構をつくる力をもっていなかったため、大人数が効果的に協力できず、急速に変化していく問題に社会的行動を適応させることもできなかったと考えれます。
認知革命以前のどの人類ももっぱらアフロ・ユーラシア大陸に暮らしていましたが、サピエンスは認知革命後、アフロ・ユーラシア大陸から抜け出し「外界」に移住するための必要な技術や組織力、先見の明を獲得します。
最も妥当な説として4万5000年前、インドネシアの島々に住んでいたサピエンスが初めて海洋社会を発達させます。
これにより人類の能力と生活様式に前代未聞の変化がもたらせられたと想定されます。
人類のオーストリア大陸上陸はコロンブスのアメリカ大陸発見やアポロ11号による月面着陸に匹敵するほど重要なことであったと述べられています。
狩猟採集民族が初めてオーストラリアへ移住したことによりこの大陸の生態系を元の面影がないほど変えてしまいます。
多くの生態系、特に有袋類の哺乳動物はその後数千年のうちに、巨大な生き物は事実上全て姿を消します。
オーストラリアの食物連鎖はホモ・サピエンスのせいで断ち切られ、配列替えがおこなわれています。
このような歴史はアラスカを渡りアメリカ大陸に渡ったサピエンスによっても行われます。
こうした認知革命によるホモ・サピエンス移住は、まさに生態学的な大惨事をもたらしました。
それは動物界に起きた悲劇のなかでも、とりわけ規模が大きく、しかも短期間で起こったものでした。
農業革命
ホモ・サピエンスは東アフリカから中東へ、ヨーロッパ大陸とアジア大陸へ、そして最後にオーストラリア大陸とアメリカ大陸へと拡がってはいきましたが、長く野生の植物を収集しや野生の動物を狩りながら暮らしていました。
人口もそれほど多くなく、どこへいっても、それで十分でした。
1万年ほど前頃から偶然種から育つ植物に気づきすべてが変わっていきます。
突如としていくつかの動植物種の生命を操作するようになり、育てることにほぼすべての時間と労力を傾けはじめます。
食べ物が安定供給できるようになると、食物を育てるまでの多くの作業に人手が必要となり、人口が劇的に増加していきます。
これが人間の暮らし方における革命、すなわち「農業革命」である。
農耕への移行は紀元前9500~8500年頃に、トルコの南東部、イラン西部、そしてレヴァント地方の丘陵地帯で始まったと考えられます。
紀元前3500年までには大方の家畜化・栽培化がすんでおり、今の私たちが摂取するカロリーの9割以上は、この頃までに家畜化・栽培化されたものに由来している
農耕がホモ・サピエンスを家畜化した
これまで、農業革命は人類にとって大躍進だと考えられていました。
農耕の発明により、危険で簡素なことの多い狩猟採集生活を捨てて、愉快で満ち足りた安定した生活を送ることができるようになったと考えられたいました。
だが、こうした仮説に対し著者は別の視点で語っています。
一般的な農耕民は、むしろ狩猟採集民よりも苦労することとなったと考えられます。
朝から晩までほとんど農作物の世話ばかりを焼いて過ごすこととなった結果、椎間板ヘルニアや関節炎などの疾患がもたらされたことは分かっています。
穀類に基づく食事がミネラルとビタミンに乏しいうえに消化もしにくかったことも、健康面に悪影響を与えた。
また、農耕生活の暮らしが狩猟採集生活と比べて安定していたというわけでもありません。
狩猟採集民は何十もの種に頼って暮らしていたため、1つの種が手に入りにくくなっても、他の種をその分多く狩ったり採集したりすることで、困難な年を乗り切ることができました。
人類は農業革命によって、手に入る食料の総量は増えたがよりよい生活には結びつきませんでした。
農耕社会はごく最近になるまで、カロリー摂取の大半を一部の種類に頼っていたため、干ばつや虫害、疫病がひとたび広まると、何千から何百万という単位で命を落とした。
さらに、農耕社会になったからといって、暴力から守られるということもなかった。
狩猟採集民の場合、より強大な集団に圧倒されたら、よそに移動することが可能だった。
それに対して農耕民の場合、避難すれば畑も家も穀倉も明け渡すことになるため、その場に踏みとどまらざるをえず、結果的に戦いが起きやすかった。
科学革命
人々は科学研究に資源を投入することで、途方もないほどの新しい力の数々を獲得しました。
これを「科学革命」と呼び、西暦1500年ごろまで、世界中の人々は、自分たちが新たな能力を獲得できるとは思っていなかったからだ。
それまでは、新たな能力の獲得というよりも、持っている能力をいかに維持するかに努力していました。
人類は科学研究に投資することで自らの能力を高められると信じるようになった。
それを裏づける証拠が増えるほど、裕福な人々や政府はますます多くの資源を科学に投入していきます。
人類は認知革命以降、森羅万象を理解しようとしてしていましたが、近代科学は従来の知識の伝統とは、3つの点で完全に異なっています。
進んで無知を認める意志
近代科学は、私たちがすべてを知っているわけではないという前提に立ち、知っていると思っていることが誤りである可能性も考慮しています。
いかなる概念も、神聖不可侵ではないという考え方です。
観察と数学が中心に置かれる
近代科学は無知を認めたうえで、新しい知識の獲得をめざします。
そのために、観察結果を収集し、それらを数学的ツールを用いて結びつけ、包括的な仮説にまとめていきます。
新しい力の獲得を志向する
理論を生みだすだけでは満足せず、新しい力の獲得、とくに新しいテクノロジーの開発をめざします。
科学革命は知識の革命ではなく、むしろ、無知の革命とも言えます。
科学革命の発端は、人類は自らにとって最も重要な疑問の答えを何も知らないという、重大な発見がありました。
「進歩」はごく最近の流行
科学革命以前は、人類の文化は「進歩」というものをほとんど信じておらず、黄金時代は過去のものであると考えていました。
実際、多くの信仰では、いつの日か救世主が現れてこの世の苦難に終止符を打つと教えられていて、人類が新しい知識や道具を発見することで、それを成し遂げられるとは考えられていませんでした。
コメント
コメント一覧 (4件)
[…] 紹介本 『サピエンス全史』にも書かれていましたが、人類のオーストリア大陸上陸はコロンブスのアメリカ大陸発見やアポロ11号による月面着陸に匹敵するほど重要なことであったと述べられています。 […]
[…] 地球の持続可能性を考える上でSDGsの中に「人口を減らそう」と言う目標の欠落していて、原生林や原野といった自然生態系が消滅し野生動物の生物多様性が激減する未来は『生物はなぜ死ぬのか』や「サピエンス全史」でも紹介しました。 […]
[…] このあたりは「サピエンス全史」で認知革命として詳しく紹介されています。 […]
[…] このことはサピエンス全史においても農業革命として書かれています。 […]