紹介本 『バカの壁』

バカの壁 / 新潮社 / 養老 孟司

この お勧め本紹介を通じて本を読むことの楽しさや色々な価値観を知り、成長に繋がることを紹介したいと思っています。

平成で一番売れた本としても有名で累計450万部という驚異的な数字です。

多くの人が要約・書評されていて販売部数も多いが故に賛否もありますが考えることをやめてしまった若者に警鐘を鳴らし、価値観を見失った社会そのものに危機感について考えるきっかけになる本です。

本書が出版された2003年当時と比較すると、令和の時代に突入した現代は、状況は更に悪化している面もあり、デジタル社会が更に進化した今は更に「バカの壁」の中に入り込みやすい可能性もあります。

バカの壁とは

「バカの壁」とは、人間ひとりひとりが何かを理解しようとする時にぶつかる限界を指します。

また、自分で限界を決めて、ここから先は知らなくていいやって自分で壁を作っていまう状況も同様に表現されています。

自分の知りたいこと以外は自らの脳で情報を遮断し理解を深めない状況です。

「話せばわかる」と信じてコミュニケーションを取り続けても上手くいかない場合、この「バカの壁」を誰しもあり、分ったふりで会話が進んでいるのかもしれません。

最近実業家の堀江貴文さんは文書や文脈で理解している人は人口の20%ぐらいでそれ以外の人は映像情報等の話言葉でなければ理解できないという自論を述べています。

同様な事例をこの本でも紹介されています。

「わかっているつもり

わかっているつもりの例としてある夫婦の妊娠から出産までを追ったドキュメンタリーを学生に見せた際のエピソードを紹介しています。

出産の映像を目の当たりにした女子学生の多くが「新しい発見がたくさんあり、勉強になった」と感想を述べた一方、男子学生は「こんなことはすでに保健の授業で習い知っていることだ」と言う感想です。

男子学生は女子学生ほど出産に対して、積極的な発見をしようという姿勢を見せなかったともいえるエピソードです。

同じものを見ているはずなのに、とらえ方がまるで違います。

このことについて養老氏は、前提となる常識についてスタンスが異なることに気づかず、「わかっている」と思い込んでいると述べています。

私たち人間は自分にとって興味のある情報しか見ようとせず、かつニュースなどの情報を鵜呑みにして「わかったつもり」になっている人が多いと養老氏は指摘します。

一日に触れる情報量が爆発的に増えている現代、情報の取捨選択を強いられる現代人にとっては重大な問題です。

ネットの炎上に前後の文脈がなく「一元論に起因するという側面」がこの本で書かれている「バカの壁」となっている現象でもあるように思われます。

このことは、「自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている」ことを示しているとも捉えらえれています。

「知っている」ということの実態はその程度であり、ここに存在する壁が、一種の「バカの壁」であると書かれています。

共通了解と個性

この本で学んだ概念に「わかる」ことには「共通了解」と「強制了解」の2種類があるということです。

「共通了解」とは「世間の誰もがわかるための共通の手段」のことです。言語はここに分類されます。

その言語からより共通の了解項目を抜き出していくと、「論理」や「論理哲学」、「数学」になります。

数学は、証明によって強制的に「これが正しい」と認めさせられる論理であるため、「強制了解」という領域になります。

共通了解は「多くの人とわかり合えるための手段」で、人間の脳は、「できるだけ多くの人に共通の了解項目を広げていく方向性」をもって進化してきました。

一方で、教育・ビジネスの世界においても「個性」や「独創性」を重要視する動きが増えています。

共通了解を広げることで文明が発展してきたことを考えると、「個性」が大切だというのは明らかに矛盾しています。

「個性を伸ばせ」という言葉の奥には「多くの人が納得できる「共通理解」と独自である「個性」の2つが求められているという事です。

たとえば、職場においては、「身だしなみを整えろ」「飲み会には付き合うものだ」「新入社員は先輩よりも早く出社しろ」など、暗黙のルールに従うことを強要する一方、「オリジナリティを発揮しろ」「イノベーションを起こせ」とも求めます。

このあたりは20年前とは状況が変わっていても相変わらず同調圧力が強い日本においては、コロナ禍における様々な問題が浮き彫りとなっています。

日本独特の「同調圧力の正体」はこのブログでも紹介していますので、興味のある方は読んでみて下さい。

コミュニティの規定(同調圧力)に従わないといけない一方で、個性もアピールしないといけないというジレンマに陥った結果、生まれたのがマニュアル人間だと養老氏は述べます。

「本当は他人と違うのですが、マニュアルをくれれば何でもこなしてみせます」という態度で、お茶を濁しているというのです。

「考える」ということ

動物や虫は、本能という脳の中の単純な入出力で反射的に行動しています。

一方で、人間では入力と出力の中間のところに巨大なバイパスができいます。

人間の脳は巨大化し、外部からの入力だけでなく、脳内で入力をつくれるようになりました。

この脳は筋肉と同じで、動かさないと退化します。

だから刺激を自給自足して、脳を体の運動と同様に動かし続けることが必要になり、「考える」ことを行います。

こうして人間は、具体的に存在しているものだけではなく、抽象的概念、たとえば「神」を生み出した。

「神というのは人間の進化、脳の進化そのもの」なのだ。

このあたりは「サピエンス全史」で認知革命として詳しく紹介されています。

見えないものを信じれる抽象的概念があるが故に大規模な集団行動も行うことができ、体力・身体能力でも優れた他の類人猿でなくホモサピエンスが生き残れた要因でもあります。

まとめ

養老 孟司さんの本を読み直そうと思ったのはこのブログでも紹介した「落合陽一34歳、「老い」と向き合う」での落合陽一さんとの対談インタビューです。

ベストセラーになった当時購入し読んだ時のこの本の印象はなく、読みかえすことで理解が深まることも再認識しました。

情報は刻々と変化し続ける一方で、それを受け取る人間には「個性」があり変化しない、と思われがちです。

しかし、記録された言葉やデータは変わらず永遠に残り続けるし、私たちは日々変化しています。

「情報化社会」では、変化しているはずの自己を、不変の「情報」だと規定してしまっていますが、個性は日々変化すると思うほうが自然に生きれます。

現在日々溢れる情報が世界中砂より多い状況で情報化されたもの処理する能力には長けるよりも、「人間そのものは自然なのだから、情報ではなく自然を学ぶ」姿勢の大切さを学べる本でした。

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