紹介本 『仕事に悩む君へはたらく哲学』

目次

仕事に悩む君へはたらく哲学/ 佐藤優/ マガジンハウス

この お勧め本紹介を通じて本を読むことの楽しさや色々な価値観を知り、成長に繋がることを紹介したいと思っています。

今回は前回の「最強の働き方」に続いて佐藤優さんの『仕事に悩む君へはたらく哲学』を紹介します。

その後2020年初頭から続くコロナ禍で緊急事態宣言を受け一時的に人流を抑制され労働環境が大きく変化しています。

この本の紹介には以下のように書かれています。

「何のために仕事をしているかわからない」という人、メディアにあふれる「好きを仕事に」「やりたいことで生きる」「何者かになりたい」というキラキラ思考に疲れた若者に“知の巨人”佐藤優が説く目からウロコの哲学者の教え 

著者初にして待望の教養対話『仕事に悩む君へ はたらく哲学』

プレスリリース抜粋

今回の本は佐藤優に架空の主人公ミレニアル世代の「シマオ君」が働か環境の悩みを相談する対話形式になっているので、読みやすい内容です。

“はたらくこと(労働)”の意味を根源的に考えることでは、前回の「最強の働き方」をベースに現在あまり取り上げられないマルクスの労働価値説に立ち戻る視点で話されています。

仕事のやりがいが見えなくなっているミレニアル世代の「シマオ君」に哲学、経済、歴史、古典などあらゆる方面から彼の悩みの本質や解決策を提案しています。

読書イメージ

この本は、NEWSPICSの対談番組「はたらく哲学」で佐藤優さんと北野唯我さんの対談を見たのがきっかけです。

前回の「最強の働き方」と合わせて働く環境が大きく変化し、悩んでいる方が多い時代に多くの人が悩むことに分かりやすい事例で解決策の提案が話されています。

具体例を少し紹介しますので、働くことに悩まれている方は読まれると気持ちが整理できることもあると思います。

やりたいことで食べていける

仕事と「やりたいこと」との間には、隔たりがあると感じる人も多くいます。

最近自分のやりたいこと、好きなことで生きていくことを進める方も多くいます。

現実社会で仕事が必ずしもやりたいことだとは限らず、やりたいことを仕事にすることを難しいと思っている人も多くいます。

この本でもシマオくんは、「やりたいことを仕事にするなんて、甘い考えなのでしょうか?」と疑問をぶつけます。

それに対して佐藤さんは、「本当にやりたいことであれば絶対に食べていくことができます」と事例と併せて紹介します。

佐藤さんが大学に進学する際にキリスト教神学を勉強しようと決めていました。

それでも神学で食べていけるのか不安で、高校の倫理の先生に相談したことがあるそうなのです。

「神学という、やりたいことだけをやっていたら、食べていくことはできませんよね?」と。先生に聞いたところ先生からは以下のような意外な答えが返ってきたそうです。

先生は「私は今までの人生で、本当にやりたいことをやっていて食べていけないっていう人を一人も見たことがありません」と答えました。

その先生は東大の大学院まで行って倫理学を研究した方だったのですが、「私は教えることが本当にやりたいことだったから、高校の教師をしているのは幸せだ」とおっしゃっていましたね。

P116 

また、佐藤さんの高校の同級生でサッカー部だったJリーグチェアマンの村井満さんについて紹介しています。

村井さんは高校でサッカーをやったくらいで、プロの経験もなければ、監督の経験もありません。

Jリーグのオフィスで働いた経験もないまま、最初に就職したリクルートから人材事業一筋でやっていました。

Jリーグの最初の関わりは選手たちのセカンドキャリア支援だったそうです。

このようにサッカーが好きなのだとしたら、選択肢は選手になることだけではないはずです。

他にも、スポーツ医学を通じて関わったり、新聞記者として取材したり、広告代理店やスポンサーとして関わるなどさまざまな方法があるわけです。

つまり、本当にやりたいことであれば、どんな方法でも多角的に関わることができるということです。

重要なのは、自分のやりたいことと、得意なことで利益を追求することの掛け合わせで、上手くバランスを取ることです。

もちろん、やりたいことを重視すれば給料は少なくなるかもしれない。しかし自分の時間を、好きなことに費やせることができれば、それは折り合いがつけられるはずです。

時間は有限です。どう使うかはその人次第ですよ。

p117

お金はないよりあったほうがいい

本イメージ

資本主義というシステムの中では、金銭によって物質的な商品はもちろんのこと、「欲望」ですら容易に購入することができます。

市場の自由化の原理においては「優しくされたい」「感動したい」「助けたい」という人間の欲望や感情を満足させるものが、商品化されていきます。

資本主義社会においては、何であっても金銭的な価値に置き換えられる可能性があります。

以前このブログで紹介した本の「それをお金で買いますか」の事例のように、一流大学の入学に支援金が影響する事実や薬物中毒の女性が不妊手術を受ければ、300ドルの現金を与えることなどが起こります。

それぐらいお金によってその万能感が人々を錯覚させやすいものです。

最近話題の韓国ドラマ「イカゲーム」お金に困窮する人々が命を懸けてゲームをする展開とそのゲームにbetする富裕層など、ドラマとしては面白いですが、ディストピアです。

何かが欲しいのではなく、お金そのものが欲しい。紙幣や貨幣、そのものを欲している状況を佐藤さんは「拝金教徒」と呼んでいます。

自分の人生の価値を「お金」だけで考えてしまい、目的なくお金を貯めようとしてしまう人たちのことです。

お金で買った食事などは食欲を満たした時点で欲望が減りますが、お金は際限なく欲してしまう恐ろしさがあることも具体例を交えて紹介されています。

キリスト教信者の佐藤さんは、キリスト教では「人は神とマモン(富)の両方に仕えることはできない」(『マタイによる福音書』第6章24節)と紹介しています。

マモンとは、アラム語(イエスの使っていた言葉)で「富」のことだそうです。

日本語の聖書では「富」、英語だと「Money」と訳されていますが、本来は訳すことのできない言葉です。

なぜかと言うと、「富」と訳してしまうと、あたかも「形を持ったもの」であるかのように感じてしまうからです。

私たちは富をお札などの形ある「お金」として思い描いてしまいがちですが、本来、富は実体のないものの様です。

富というものは、いろいろな姿に形を変えて人間を簡単に支配する力を持っている。

それにあらがうことは大変難しい。だからイエスは、マモンに気をつけろと、わざわざ言葉にして、弟子に伝えたそうです。

富と豊かさはイコールではなく、気を抜くとすぐに、富は豊かさや神さえも優越しようとする危険性をはらんでいると説明しています。

どの宗教も何千年も前から「お金」を警戒しているのはこの事が理解されているからです。

お金を拝むということは、すべてをお金に換算して測るということで、人間にとってよくないこととして、宗教が歴史的に何千年も積み重ねてきた知恵と説明しています。

18世紀の「近代経済学の父」とも呼ばれたアダム・スミスは「富」というのは貴金属のことではなく、人間の労働から生まれるものであると唱えています。

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