紹介本 『ブルシット・ジョブの謎』

ブルシット・ジョブの謎 / 酒井 隆史

この お勧め本紹介を通じて本を読むことの楽しさや色々な価値観を知り、成長に繋がることを紹介したいと思っています。

今回紹介する『ブルシット・ジョブの謎』は、前回紹介した『SDGsの大嘘』でブルシット・ジョブという言葉を初めて知り、その事を解りやすく紹介されている本を探し購入しました。

「ブルシット・ジョブ」とはなにか

いまの世界には、まったく無意味で有害ですらある仕事、しかもそれを行っている当人すらそう感じている「ブルシット・ジョブ」(BSJ)が増殖しています。

それは、2013年にデヴィッド・グレーバー氏が公開したこの問題に関する小論は予想外の反響を呼んだ事に始まります。

デヴィッド・グレーバー氏の呼びかけに250を超える仕事に関する体験談が集まりました。

最終的に11万字以上のデータベースとなったそれらの証言をグレーバー氏は入念に整理し、2018年に『ブルシット・ジョブ』という本を出しました。

「BSJ」の定義は、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でさえある有償の雇用の形態です。

その雇用条件の一環として、被雇用者は、無意味と思いつつも、そうではないととりつくろわねばならないとも感じている仕事の事です。

本書は『ブルシット・ジョブ』という本の解説書として、分かりやすい内容です。

5つのブルシット・ジョブ

ブルシット・ジョブには、取り巻き・脅し屋・尻ぬぐい・書類穴埋め人・タスクマスターという5つの種類があります。

取り巻きとは、だれかを偉そうに見せるために存在する仕事の事です。ドアマンや受付嬢、パーソナルアシスタントが例に上げられています。

取り巻きが実質のある仕事をし、上司がブルシット化することも場合もあります。

脅し屋は、他人を操ろうとしたり脅しをかける仕事です。

企業弁護士、広報専門家などが紹介されています。

「商品を売るため、なによりもまず、人をあざむき、その商品を必要としていると錯覚させるような方法です。

尻拭いは、組織の中の欠陥に対処するためだけの仕事で、一人の人間の欠陥を部下や部署全体が尻ぬぐいするといったケースもこれに該当します。

そして「やっているふり」をするのが書類穴埋め人です。

ある組織が実際にはやっていないことをやっていると主張できるようにすることが、主要ないし唯一の存在理由です。

この役割は、現代ではパワポや図表などを報告書にまとめるだけの従業員として紹介されています。

5つ目のタスクマスターには二つの類型があります。

一つは「不要な仕事をつくりだす上司」で、もう一つは「他者のなすべき仕事をでっちあげる」ことです。

グレーバーのラフな計算によると、イギリスにおける仕事の37%がBSJで、残りの63%がそのサポートに回っており、実質的な労働時間は週15時間程度であるといいます。

「ブルシット」には、「うそ、ほら、でたらめ」といったあざむきのニュアンスが強くあります。

哲学者のフランクファートは「ウソ」と「ブルシット」のちがいについて議論を行っています。

ウソをつくという行為は、真実や事実をごまかしていることを自覚した上で行われます。

ブルシッティング」では、真実や事実への配慮はなく、「その場をうまく丸め込」んだり、「論破」したり、知的に見せることが重要です。

経済学者のケインズは1928年に20世紀末までに欧米ではテクノロジーの進歩により週一五時間労働が達成されると予測していました。

グレーバーのラフな計算のイギリスの仕事のBSJを考えるとケインズの考え方は正しかったのかもしれません。

ネオリベラリズムと官僚制

ネオリベラリズム。「新自由主義」または「ネオリベ」と略されるこの言葉のおおまかな意味は、役所仕事は非効率的で赤字を生むが、市場原理で動く「民間」であればムダが削減されてうまくいくいう考え方です。

BSJ論はこのネオリベラリズムと官僚制の文脈にあります。

BSJ論を理解するために押さえておくべき構図は、テクノロジーの進化によってケインズの予言は現代では実現不可能ではないにも関わらず、実際には達成を阻む要因があるということです。

ネオリベラリズムは通常「経済的プロジェクト」とみなされるが、「民間の論理」が持ち込まれたことで、目標が達成されるどころかかえって経済成長率は低下し、科学的にも技術的にも発展が滞ってしまいました。

グレーバー氏によれば、このような不条理な官僚主義化はネオリベラリズムによって拡大された資本主義が促進する「数値化しえないものを数値化しようとする欲望」の帰結と唱えます。

ネオリベラリズムと古典リベラリズムの重要な差異は、市場についての概念であるといいます。

古典リベラリズムにおいて人は交換する存在だったが、ネオリベラリズムでは競争する存在になった。

組織も個人も競争にさらされることが健全化につながる言われていますが、実際はそのために日々評価され、監視されます。

この競争構造の導入にはすべてを数量化し、比較対照しなければなりません。

これがネオリベラリズムの「会計文化」そして「格付け文化」に結びついていきます。

しかしケアや愛情、連帯といったものが数量化され事で、例えば失業者が生活保護のような保障を受けるにも、徹底的な屈辱が与えられ、保障の取得を断念させるかのような官僚主義的手続きが築かれてしまいます。

結果的にネオリベラリズムが官僚制を招く要因になってしまうという事です。

BSJ増殖の要因

BSJはなぜ増殖するのかをグレーバー氏は「経営封建制」の要素との関連を指摘しています。

「封建制」の分配構造は、お上が民衆の生産物を「掠奪」し、自分の取り巻きたちにばらまくという構造でした。

BSJの事例として挙げられている金融、保険、不動産などの比重が高まった現代社会では、かつての伝統的な製造業やメディアも本業ではなく所有する土地や建物の家賃収入で持ちこたえている状況があります。

「レント」という言葉はもともと「地代」を意味し、土地の使用料(レンタル料)だが、モノを売って利益をえるのではなく、不動産や株式からの利益に比重がおかれる現代の資本主義は「レント資本主義」と述べています。

現代においては「所有」の概念も拡張され、土地だけでなくより抽象的な知的所有権などもレントの領域に入ります。

徴収された膨大な富は取り巻きにばらまかれ、「一つの過程の中に謎めいた中間的ポスト」を多数作り出すBSJの温床となっています。

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